PR

【雑学】機械式時計の歴史をさかのぼる

時計を学ぶ

機械式時計の歴史機械式時計は、長い年月をかけて発展し、現代においてもその精密な技術と芸術性が高く評価されています。以下では、機械式時計の誕生から現代までの発展の歴史を紹介します。

1. 機械式時計の誕生(13世紀末~14世紀)

参考画像①

機械式時計の起源は13世紀後半から14世紀初頭のヨーロッパにまでさかのぼります。世界最初の機械式時計は1270年から1300年頃、ルネッサンス期の北イタリアから南ドイツにかけての地域で作られた塔時計だと考えられています。

当時の時計は文字盤や針はなく、鐘を鳴らすことで時を知らせていました。この初期の機械式時計は、以下の3つの基本要素から構成されていました。

動力源:錘(おもり)。紐につながった錘が下がっていく力で時計を動かしました。

調速機:「棒テンプ(フォリオット・バランス)」が使用されていました。

脱進機:「冠型脱進機」が使用されていました。

この初期の機械式時計の精度は非常に粗く、50秒に1秒程度の誤差がありました。

2. 携帯できる時計の誕生(15世紀末~16世紀)

15世紀末から16世紀初頭にかけて、機械式時計の技術に大きな革新が起こりました。

1500年頃、ドイツのニュルンベルクの錠前職人ペーター・ヘンラインが動力ゼンマイを発明し、1510年頃には持ち運びができる携帯時計を製作したといわれています。動力源を錘から動力ゼンマイへと変更したことで、時計の携帯が可能になったのです。

しかし、この時代の携帯時計も精度は良くなく、依然として50秒に1秒程度の誤差がありました。

3. 精度向上への取り組み(16世紀~17世紀)

16世紀から17世紀にかけて、時計の精度向上のための技術革新が進みました。

振り子時計の誕生

イタリアの科学者ガリレオ・ガリレイは振り子の等時性(振れ幅の大きさに関係なく周期が一定であること)に着目し、振り子時計の理論を構築しました。1656年、オランダの科学者クリスチャン・ホイヘンスが初めて実用的な振り子時計を製作。これにより時計の精度は飛躍的に向上し、5分に1秒程度の誤差まで改善されました。

テンプの発明

振り子と同様に等時性を持ちながら、振動に強く携帯も可能な調速機「テンプ」が発明されました。また、冠型脱進機よりも精度の高い「シリンダー脱進機」が登場しました。

4. マリンクロノメーターの開発(18世紀)

18世紀になると、航海における経度測定の必要性から、高精度の時計「マリンクロノメーター」の開発が進みました。

1714年、イギリス政府は「経度法」を公布し、正確なクロノメーターの開発に2万ポンドの賞金を出しました。これが多くの科学者や時計職人を刺激し、時計技術の発展を加速させました。

イギリスの木工職人ジョン・ハリソンは30年近くに渡って研究を重ね、1761年に最高の作品H4を完成させました。H4には温度変化時に鋼と真鍮のバイメタルの部品がテンプのひげゼンマイの長さを自動で調整できる機構があり、画期的でした。

その後、フランスの時計師ピエール・ル・ロワが1748年に、温度変化に強いデテント脱進機を考案。この技術をイギリス人のジョン・アーノルドとトーマス・アーンショウが改良し、安価で大量生産可能なマリンクロノメーターを製造しました。この時代の高精度なクロノメーターは8時間に1秒程度の誤差にまで改善されています。

5. スイス時計産業の発展(17世紀末~19世紀)

現代の高級機械式時計の中心地であるスイスの時計産業は、16世紀末にフランスからの宗教難民(ユグノー)によってもたらされました。

ジュネーブやスイス・ジュラ山脈の渓谷の町(ル・ロックル、ラ・ショード・フォン、ヌーシャテルなど)に亡命したユグノーの時計職人たちが、スイスでの時計産業の基礎を築きました。

18世紀になると、ブランパン(1735年)、ピエール・ジャケ・ドロー(1738年)、ヴァシュロン(1755年)など、現在も続く有名ブランドの創業者たちが工房を開設し始めました。

19世紀には、スイスの時計産業は分業体制と機械生産方式を取り入れ、安価で正確な時計を生産。特にイギリスへの輸出を増やし、めざましい発展を遂げました。19世紀の中頃には、スイスは世界一の時計王国になりました。

6. 腕時計の誕生と普及(19世紀末~20世紀前半)

機械式腕時計の歴史は19世紀後半から始まりました。第一次世界大戦(1914~1918年)は、腕時計の普及を促す大きな契機となりました。戦場では戦略を遂行する上で腕時計が不可欠で、軍用時計として標準支給されるようになりました。

1926年には、ローレックス社が防水性と防塵性を備えた世界初の腕時計「オイスター」を開発。これにより腕時計の故障が減って精度も安定し、腕時計の需要が拡大しました。

また同年、イギリス人のジョン・ハーウッドの発明に基づき、スイスのフォルティス社から世界初の自動巻腕時計が発売されました。その後、1931年にロレックスが現代の自動巻き機構の原点ともいえる「パーペチュアル」を開発しました。

1930年頃には、日本でも世界でも腕時計の生産数が懐中時計の生産数を上回り始め、時計の主流が完全に懐中時計から腕時計に移行していきました。

7. クォーツショックと機械式時計の危機(1970年代~1980年代)

1969年、日本のセイコーが世界初のクォーツ腕時計「アストロン」を発売しました。クォーツ時計は機械式時計を遥かに超える精度と製造コストの低さ、メンテナンスの容易さなどの利点があり、急速に市場を席巻しました。

このいわゆる「クォーツショック」により、スイスの時計産業は壊滅的な打撃を受けました。多くの機械式時計ブランドが倒産や事業休止を余儀なくされ、世界最古の時計ブランドであるブランパンも一時事業を休止しました。

この時期、機械式時計の製造企業数は大幅に減少し、1970年から1984年の間にスイスの時計メーカーは約1,600社から約600社へと減少したとされています。

8. 機械式時計の復活(1980年代後半~現在)

1980年代後半から、機械式時計は芸術性や職人技を強調した高級品として復活の兆しを見せ始めました。

1983年、ジャン・クロード・ビバー氏はブランパンを買収し、「機械式時計にしかない魅力を全面的に打ち出す」戦略で再興に尽力しました。ブランパンの成功をきっかけに、多くの機械式時計ブランドが復活し、新興ブランドも誕生しました。

また、この時期にスイスの時計業界はグループ化が進み、リシュモン、スウォッチ、LVMHなどの大手グループが形成されました。これにより、各ブランドの資金力や技術開発力が強化されました。

現在、機械式時計は高精度・高品質な芸術品としての地位を確立し、クォーツ時計と住み分けが図られています。一部の高級機械式時計ブランドでは、伝統的な技術を守りながらも、新素材や新技術を取り入れた革新的なモデルも開発され続けています。

まとめ

13世紀末に誕生した機械式時計は、700年以上にわたる技術革新を経て、高度に洗練された精密機械へと進化してきました。動力源、調速機、脱進機という基本構造は変わらないものの、その精度と信頼性は劇的に向上しました。

クォーツ技術の登場によって一時存続の危機に瀕しましたが、芸術性と職人技を強調することで復活を果たし、現在では高級品市場で確固たる地位を築いています。

機械式時計は単なる時間を知らせる道具から、工芸品、ステータスシンボル、投資対象へと進化し、デジタル時代においても独自の存在感を放ち続けています。

おすすめ!機械式腕時計の紹介

コメント

タイトルとURLをコピーしました